治水の歴史

先週の四日市行の途中で寄った七里の渡しの公園。
我が濃尾平野は、
治水の歴史でもあることがわかる。
戦後米軍が撮影した航空写真を見ても、
戦後の短い間でも、
現在の川と形が違うところが散見される。
暴れ川だったと言える木曽三川とその支流のおかげで、
この土地が豊かで気候が良いことと相まって、
米がたくさん収穫できるということだと思う。
土地に家族を養う力があったことは、
幸せなことだったのだ。
多くの偉人を輩出しなかったことは、
幸せなことだったのだ。
掲示を見ながらそんなことを思った。

掛け替えのない一日でありますように。
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